海を渡った柔術:ブラジリアン柔術

ブラジリアン柔術、または創始者の名前を取ってグレイシー柔術と呼ばれるこの柔術の一派を、初めて日本人が目の当たりにした時のショックを、一体どのように伝えればいいでしょうか。まず日本独自のものであった柔術が、日本人に全く知られることなく、地球の裏側で独自の発展を遂げていたという事実に対するショック。そしてその柔術が日本に残る柔術より、より機能的、より実践的に進化していたことに対するショック、ということにになるでしょうか。

前田光世が伝えた柔術

ブラジリアン柔術の起源は、柔道の総本山である講道館の実力者であった前田光世がブラジルに渡り、かの地で後にブラジリアン柔術の創始者となるカーロス・グレイシーを弟子に取ることから始まりました。カーロスは前田の元で優秀な柔術家となり、そして同様に柔術を学んだ兄弟たちと共に切磋琢磨し、ついにはブラジリアン柔術を生み出すことになるのです。

木村政彦との試合

ところで、最初に日本人に全く知られることなく、と言いましたが、実はブラジリアン柔術と試合をした有名な日本人がいました。それが木村正彦です。年配の方ならご存知だと思いますが、あの力道山とも戦った伝説的な柔道家です。

彼はブラジルの新聞社に招待され、現地でカーロスの弟、エリオと試合をします。この試合は関節技の一つ、腕がらみで木村が勝利することになりますが、海外でこの腕がらみが「キムラロック」という名前で知られるのは、この勝利を称えたグレイシー家が腕がらみを「キムラロック」と呼び使用したからだと言われています。このように実は日本とブラジリアン柔術の縁は陰ながら続いていたのです。